問の大系を成したのでありますが、其の大要を最も早く東洋に知らしたのが其の西學凡であつて、之に載つて居る所に依ると學問を六科に分けて居ります、之に依つて全體の學問を觀ることが出來るのであります。支那字で書いてありますが、一つは文科(勒鐸理加《レトリカ》)、それから理科(斐録所費亞《フイロソフイア》)、醫科(默弟濟納《メデチナ》)、法科(勒義斯《レイス》)、教科(加諾搦斯《カノネス》)、道科(※[#「こざとへん+走」、第4水準2−91−68]禄日亞《トロジア》)、斯う云ふものであります。先づ文科、理科の二つから這入つて、それが第一歩の基礎學問であつて、其の後それが濟むと醫科をやるか、法科をやるか、教科をやるか、道科をやるか其の四つの中の一つを專修するとしてあります、之が西學凡の大意であります。其の内主に理科の所に於てアリストテレスの學問を大體に於て論じて居るのでありますが、然し文科と云ふのもやはりアリストテレスから來た所のものであると思はれます。文科はどう云ふものをやるかと云ふと、古賢の名訓、各國の歴史、各種の詩文、それから自分で文章をかき又議論をする事、之が即ち文法學、修辭學、さう云ふものであります。其の次に理科は大體に於てアリストテレスの時代の學問から來たので、最初にロジカ(落日加)を稽古する、其の次はフイジカ(費西加)を稽古する、其の次にはメタフイジカ(默達費西加)、それからマテマチカ(馬得馬第加)を稽古する。それから其の後はエテカ(厄第加)を稽古する、それが即ちアリストテレスの學問の大意だと云ふことを云つて居ります。それだけが準備の學科で、それから後はつまり專門になるのであります。專門は醫科と法科と教科、この教科がキリスト教時代の學問であつて、羅馬教皇が定めた教中の法度で、今日の日本の大學等に、さう云ふものはありやう筈がありません。道科、之は今日日本では神學と稱して居るものであります。で、つまり此の中で最後の二つ、教科、道科と云ふものは、之はキリスト教が歐羅巴に入つてから後に、其の關係から出來た所の學問でありますが、前の四つは希臘以來歐羅巴で文化を有つて居る所の國民が、皆有つべき要素として有つて居た所の學問であります。微細な點に渉つて考へると、異つた種々の部分があるでありませうけれども、兎に角理科の中に含む所の落日加、費西加、默達費西加、馬得馬第加、厄第加、斯う
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