、自分の國即ち支那の文化を取り入れたのではないか、さうして明治以後になつてから歐羅巴の文化、殊に最近に於ては獨逸の文化を丸呑みにして居るのではないか、何も自分の文化を持ち得ない國民で、少しもそんなに尊ぶには當らない、日本が非常に勢力が強くて盛んでも、若し之が亡びたら、後には何も殘らない國であるが、自分の國は大したもので自分の文化を持つて居る、自分等の持つて居る文化は、今日の進歩して居る國、古來進歩したどの國に比べても決して劣らないものを持つて居る、其の點で日本よりも遙かに自分等は優秀な國民だと云ふ事をいふ者が多くあるのであります。之は相當な理由のあることでありまして、日本の眞の歴史、つまり眞の文化の根本を知らずに日本の事を考へると、確に斯う云ふやうな考へになり得るのであります。然し私は左樣ではないと信じて居るのであります。が、然しさうでないと信じた所で、それを立證すべき確かな事がなくてはならぬと思ひます。
 無理に之を立證しようとして、我國は二千何百年經つて居ると云ふやうな、有りふれた、日本人が普通に自慢する樣な歴史を言つたのでは、さう云ふ支那人などの連中はなか/\承知しないのであります。さう云ふ事から私は先づ第一に、それでは世界に、文化を持ち得る國民と云ふものが、一體どう云ふ條件を備へて居るかと云ふ事を考へる必要があると思ひました。で、先づ其の點から云へば近い所で支那であります。私は澤山の國民の歴史を知つて居る譯でもありませんが、先づ支那の如きは文化を持つて居る國民であります。それから印度、印度はやはり之も誤解され易い國でありまして、今でも印度人は未開な樣に思ふ人などがありますけれども、やはり立派な文化を持つて居ると思ひます。それから今日種々の國民より成る歐羅巴の文化で、今日の傳統を爲して居るものはギリシヤ以來の文化でありますから、先づギリシヤ人の持つて居る文化と云ふ樣なもの、又アラビヤ文化、ペルシヤ文化と云ふ樣なものもありますけれども、私はまださう云ふ國々の事を十分考究致しません。先づ私にわかる範圍の國民の事を考へまして、さう云ふ國々が文化の條件として持つて居るものが、どう云ふものであるかと云ふ事を比べる必要がある、所が夫等の國民は不思議にもやはり同じ樣なものを持つて居ります。之は偶然ではないのでありませう。つまり文化國民と云ふものは、さう云ふものを必ず備ふべき
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