ひました。其頃の日本の目録としては本朝書籍目録と云ふのがありまして、之は仁和寺書籍目録とも申します。之は仁和寺にあつたものを寫したからさう申すのであります。傳へらるゝ所に依りますれば、其の作者は清原業忠と云ふことになつて居ります。之は足利將軍義教の時の人でありますが、足利の世は此義教の時から不安定になりかけたのであります。此の人が赤松滿祐と云ふ家臣に殺されてから、世の中が亂れかゝつたのでありますが、此の義教の注文で書いた目録だと云ふことになつて居ります。之は其の當時の目録を全部書いて居る譯ではありませんけれども、之に載つて居る目録の分類の仕方を見ると云ふと、大體此の當時に必要な書籍の程度が判ります。此の目録は神事、帝紀、公事、政要、氏族、地理、類聚、字類、詩家、雜抄、和歌、和漢、管弦、醫書、陰陽、傳記、官位、雜々、雜抄に分類されて居ります。其中神事、帝紀、氏族、地理、和歌は日本固有のもので、公事、雜抄、管弦、雜々の中にも幾分固有のものがあります。之が前に申しました應仁の亂の前に當りますので、將に日本は支那から來た文化の着物を脱ぎかゝつて居りますけれども、まだ皆脱ぎ切つて居ない時であります。それでありますから、此の中には日本人が丸裸になつてから發見した所の文化的要素のみを見はしては居りません。之は一面には支那文化の傳來と、それから日本の古代から傳つて來た所の宗教上の儀式とか、色々な種類のものを其の中に有つて居りますが、文化國民が有ち得べき要素を、裸になつてから見出したと云ふ其の證據は、此の目録に依つて見ることはできません。然し足利の亂世に於ても日本人がその古來相傳して來た所の文化をどれ程大事にして居つたかゞ判るのであります。さうして此の目録以後に新しく出來たものゝ中に文化的要素があれば、それが眞の日本人が素ツ裸になつてから發見した所の文化であります。それがあるかどうかと云ふことでありますが、それが今日から考へると貧弱なものでありますけれども、有ることはあるのであります。其の有ると云ふ點が、甚だ我々にとつて心強いのであります。
どう云ふ事かと申しますと、其の後、應仁、文明以後の亂世で、御承知の如く皇室は非常に衰微あそばされたのであります。數年前東山御文庫を整理される時に、私も取調員の一員を汚しましたが、御文庫に後奈良天皇の宸翰で、天文十四年八月二十八日の宣命案がありま
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