本を所藏す、花山院家忠以後八十人の大臣の肖像を集む。この傳寫本の原本は近衞家にありし由、奧書に見えたるを以て、嘗て同家の藏品搜索を乞ひしも、未だ發見せられずして、發見せられしは、傳寫本中の別本なりき。それによりて八十大臣の外に、其後の分を補寫せし本のある事も明かとなれり。勿論、これも隆信以來の描きし肖像を編纂されしならんが、これについて不審なるは、其中にある所の重盛の肖像が、現に神護寺に存在せるものと少しも似ざる事なり。されば神護寺現存の重盛・頼朝の肖像は、當時の何人かの肖像なるには相違なからんも、果して重盛・頼朝なるかは疑問なるべし。但し、それはまた當時新に起りし日本風の肖像畫の代表的のものにはならぬといふ意味には非ず。多分その筆が隆信の畫と言ふ傳來は正しからんも、神護寺の所傳の如く、重盛・頼朝なるかは疑問なるべし。自分はこの三通の肖像集の存在する時代、即ち藤原末期より南北朝初期までの時代を以て、日本肖像畫の高潮期と考ふ。その中にも、隆信、信實は勿論、豪信にしても、其技倆の優れることは、簡單なる用筆の間に精采ありて、その面相なり、風采なりを現はせる所を其特色とすべし。
鎌倉の中頃よ
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