、日本肖像畫の全盛期あることにも充分に注意する必要あり。
今一つの意見は、同じく肖像畫の全盛期を足利時代とするものなるが、それにつきて特別の理由を求めんとするものにして、足利時代は低き階級が活動し始めしを以て、社會は個性の發達を促せり、これ肖像畫の如き個性の發現を尚ぶものが、足利時代に盛んとなりし所以なりと考ふるものなり。これは足利時代の肖像畫の實物と、隆信・信實の肖像畫の如き優秀なるものとを比較せずして、即ち實物を無視して説をなしたるものなるが、一方に於てまた時代の眞相の觀察を誤れるにあらざるやを思はしむ。前者に就ては肖像畫の現存せるものを實見すれば、何人も隆信一家のものと、足利時代の多數の肖像畫との優劣を判斷するに苦しむものあらざるべく、禪宗渡來以後の肖像畫に於ても、寧ろ鎌倉時代以後南北朝のもの優れ、其以後のものは衰退せる事を發見するに難からざるべし。後者即ち日本歴史上の時代觀に於ては、余は日本に人心の動搖と共に個性活動し始めて多くの天才を現はせるは、やはり藤原末期より鎌倉初中期間なりと考ふ。即ち宗教上の信仰の動搖より叡山の片隅横河の山中にて既に淨土教の信仰萌し、眞言宗にも新義派
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