の原則の尊いことに氣の付かないものがあります。それは「異部名字難必和會」といふ原則です。
 これはどうかすると今日歴史などを研究する人でも、この原則の尊いことを知らない人があります。これはどういふ事かと申しますると、要するに根本の事柄は一つであつても、いろ/\な學問の派が出來ますると、その派/\の傳へる所で、一つの話が皆んな違つて傳へられて來ると、それを元の一つに還すといふことは餘程困難である。根本は一つの話、それが三つにも四つにも變つて來ると、どれが一體根本で、どれが變つて來たのか、どれが正しく、どれが誤つて居るかといふことを判斷するのは餘程困難であります。それで富永は異部名字必ずしも和會し難しと言うて居る。つまり學派により各部々々で別の傳へが出來て居るので、それを元の一つに還すことは出來にくいといふことを言ひ出したのであります。これは餘程偉いことだと思ひます。
 どうも歴史家といふものは、何か一つこゝに事件がある。それが何月何日の出來事だといふ説がある、又それと違つた説が出て來ると、それは何方が本當で何方が嘘であるか、二つの説、三つの説があると、どれか一つ本當で、あとの殘りは嘘だと
前へ 次へ
全42ページ中16ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 湖南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング