、その宗派の起る前後といふものは、この加上の原則によつて起つて來たといふことを考へました。
 一體佛教といふものは、――印度に婆羅門教があつて、それが天を崇拜して居つた。その婆羅門教といふものが段々發達して、次第に天の上に天を加へて、後になると二十八天、三十三天と段々上へ/\と附加へて、自分の拜む天が尊い、今まで拜んで居る天はそれは間違つて居るといふことで、さうして大きく分ければ三界の諸天と申しまして、慾界・色界・無色界、さういふ風に三つに分けるのであります。大體それで二十八天、三十三天と段々上の方にえらい天が出來て積み上げられて行つた。餘り天が高く積み上げられ過ぎて、その上に天を積み上げても致方がないから、お釋迦さんはそれを引つくり返して、天でない佛といふものにしてしまつた。つまりそれは天の上に加上した考へである。斯ういふことを考へまして、さうして最初お釋迦さんの考へたのは聲聞の教、即ち後にいふ小乘教であるが、その上に又その弟子達が段々世を經るに從つて、段々上の方に考へて、何百年かの間にこの大乘佛説が發達して來たと、斯ういふ加上の原則を發見したのが富永の説であります。
 これは詰り思
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