、斯う極めたがるのである。どれもよい加減で、どれが本當か分らぬと諦めるといふことが、どうも歴史家といふものは出來にくいやうであります。どれか一つ確かなものと極めたいといふ考へがあります。ところが記録のある時代は、どうかするとそれを一つに極めることが出來ます。併し記録がない、話で傳はつて居ります時代のことは、どうしても極めにくいです。さういふ事は、いつそのこと思ひ切つて極めない方がよいんですが、それをどうも皆んな極めたがるのです。その極めにくいといふことを原則にしたといふことは、大變私はえらいと思ひます。
 これは支那の非常に古い時代に、斯ういふことを考へた説があります。支那の春秋公羊傳の中に、所見異辭、所聞異辭、所傳聞異辭とあつて、それを一つの歴史上の原則にしてあります。これも見る所、聞く所、傳聞する所各※[#二の字点、1−2−22]違つて居るので、どうもどちらが事實と一つに極められないといふことであります。この傳説時代の事は、思ひ切つてさういふ風に極められぬと極める方がよいのであります。それを歴史家などは、傳説時代の事でも、どれか一つを事實として、その他は誤り又は僞にしたい。それがため反つて事實を失ふことになる。佛教の如く傳説ばかりで出來て居るもの、即ち初めの間は記録がなくて、口から口へと唱へられて傳はつて、それから後に本に書かれたものは、同じ事に異つた傳來が多くて、一つに極められぬことが多い。例へばお釋迦さんが初めて出家してから、成道して、それから死ぬまでのことでも、十九で出家し、三十で成道し、八十一で死んだとも云ひ、二十五で出家して二十八か九で成道し、八十一で死んだといふ風に、いろ/\の説があつて、各※[#二の字点、1−2−22]の宗派によつて、この説を採るとか、かの傳へを採るとか一定しない。お釋迦樣の生れた年代でも、今から二千八九百年前といふ説もあり、二千三四百年といふ説もありますが、各※[#二の字点、1−2−22]の宗旨によつて採る所がちがふ。尤もお釋迦さんの死んだ年に關しても、富永が一番確からしい説を「出定後語」の中に出してあります。その點を今日富永の研究の偉いことゝして特別に認めて居る人もあります。兎も角大體この傳説時代の事は一つに極めるといふことが困難だと考へ出したのは、異部名字必ずしも和會し難しといふ原則であります。これ等も古代の事を研究するには大
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