想の上から考へて行つたので、思想の上から歴史の前後を發見する方法を立てた。歴史の記録のない時代のことを歴史的に考へるには、これより確かな方法がない。どうせ理窟のつんだ完全なものは段々後から出て來るに違ひない。一番最初は一番簡單のものであつて、それから段々いろ/\に理窟を變へて、引つくり返し/\上の方に行くに違ひないから、佛教の如き時間空間を構はない記録に對しては、斯ういふ方法で考へる外に仕方がないのであります。併しさういふ富永の考へ方も、今日から顧れば何でもないことでありますが、さういふことを發見する人といふものは中々あるものでない。それを富永が發見したのであります。これは非常に偉いことゝ思ひます。
これは今日いろ/\な國の古代のことを研究するに非常な役に立つ原則だと思ひます。富永は支那のことも斯ういふ原則で研究しております。又日本のこともそれでやらうとしました。何も思想ばかりでない、事實に關する傳説でも、さういふ方法で研究が出來るのであります。但し此の加上の原則のえらいことは多くの人が皆氣が付きます。
二「異部名字難必和會」の原則
その外に多くの人が、富永の原則の尊いことに氣の付かないものがあります。それは「異部名字難必和會」といふ原則です。
これはどうかすると今日歴史などを研究する人でも、この原則の尊いことを知らない人があります。これはどういふ事かと申しますると、要するに根本の事柄は一つであつても、いろ/\な學問の派が出來ますると、その派/\の傳へる所で、一つの話が皆んな違つて傳へられて來ると、それを元の一つに還すといふことは餘程困難である。根本は一つの話、それが三つにも四つにも變つて來ると、どれが一體根本で、どれが變つて來たのか、どれが正しく、どれが誤つて居るかといふことを判斷するのは餘程困難であります。それで富永は異部名字必ずしも和會し難しと言うて居る。つまり學派により各部々々で別の傳へが出來て居るので、それを元の一つに還すことは出來にくいといふことを言ひ出したのであります。これは餘程偉いことだと思ひます。
どうも歴史家といふものは、何か一つこゝに事件がある。それが何月何日の出來事だといふ説がある、又それと違つた説が出て來ると、それは何方が本當で何方が嘘であるか、二つの説、三つの説があると、どれか一つ本當で、あとの殘りは嘘だと
前へ
次へ
全21ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 湖南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング