れから段々時期を分けて深い教を説き、最後に法華經を説いた、それで法華經が一番尊いものであると、一代の事を五時とか八教とかに割當てゝ、それで以てあらゆる佛教の説の變つて居る所を片付けようといふ、それが一番永い間勢力があつた。併し富永は古來の傳統の説に囚はれないで、特別な方法を發見しました。
一「加上」の原則
特別な方法、それはどういふことかと申しますると、こゝに一つの原則を立てました。富永の「出定後語」の中にかういふ言葉があります。それは「加上」――加上の原則といふものを發見したのであります。加上の原則といふものは、元何か一つ初めがある、さうしてそれから次に出た人がその上の事を考へる。又その次に出た者がその上の事を考へる。段々前の説が詰らないとして、後の説、自分の考へたことを良いとするために、段々上に、上の方へ/\と考へて行く。それで詰らなかつた最初の説が元にあつて、それから段々そのえらい話は後から發展して行つたのであると、斯ういふことを考へた。それは「出定後語」の「教起前後」の章に書いてある。佛教の中の小乘教も大乘教も、――その大乘教の中にいろ/\な宗派がある、その宗派の起る前後といふものは、この加上の原則によつて起つて來たといふことを考へました。
一體佛教といふものは、――印度に婆羅門教があつて、それが天を崇拜して居つた。その婆羅門教といふものが段々發達して、次第に天の上に天を加へて、後になると二十八天、三十三天と段々上へ/\と附加へて、自分の拜む天が尊い、今まで拜んで居る天はそれは間違つて居るといふことで、さうして大きく分ければ三界の諸天と申しまして、慾界・色界・無色界、さういふ風に三つに分けるのであります。大體それで二十八天、三十三天と段々上の方にえらい天が出來て積み上げられて行つた。餘り天が高く積み上げられ過ぎて、その上に天を積み上げても致方がないから、お釋迦さんはそれを引つくり返して、天でない佛といふものにしてしまつた。つまりそれは天の上に加上した考へである。斯ういふことを考へまして、さうして最初お釋迦さんの考へたのは聲聞の教、即ち後にいふ小乘教であるが、その上に又その弟子達が段々世を經るに從つて、段々上の方に考へて、何百年かの間にこの大乘佛説が發達して來たと、斯ういふ加上の原則を發見したのが富永の説であります。
これは詰り思
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