、時間と空間の觀念がない樣な書き振りをしたものであるが、仲基が出定後語に於てそれを歴史に合はす樣に讀んだといふことは、甚だ感服の外ないもので、畢竟仲基は佛教の發展の歴史的研究をした人であるといつてよい。僧侶に言はせると仲基は佛教を惡しざまに言つて居ると解して居るが、仲基の佛學はそんなものではない、佛教の發展の筋道を研究したものであるといふことは、其書を見ても明瞭である。仲基の佛學といつても其研究の筋道は漢學から入つたものであつて、其の學問が大阪の町人の利益にならうとかならぬとかいふことを念頭に置かず、全く時代と歴史とに超越した考へでやつたものである。そして是等の如き學者を生んだことは、大阪の學問が平民の手に移り、解放された結果として偶然に生れたもので、他に深い理由があるわけではないと思ふ。
佛學の方では此の他に難波に居た鐵眼和尚といふのがある、彼の有名な「黄檗の藏經」の出版は全く鐵眼によつて出來たもので、それも大阪の町人の後援があつて初めて完成したものであらうと思ふ。支那では北宋の太祖太宗の時に出來た藏經は官版であつて、散逸して今其全部を見ることが出來ない。先年南禪寺で僅に其の一册が
前へ
次へ
全17ページ中11ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 湖南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング