み美が備はり、唐虞の時代に至つて善を盡した。殷は夏に因り、周は殷に鑑み、周公に至つて大成した。周公が大成したといふのは、周公はもとより聖人であるけれども、しかしその大成するのは周公の智力によつて能くしたのではない。その時會が然らしめたのである。古來の聖人で集めて大成したといふのは、勿論周公獨りであるが、これは時會が周公をしてさうさせたので、周公自らも、自分が集めて大成する時會に當つたといふことを知らずに自ら大成したのである。然るに支那では、孟子の如き人は、集めて大成したのは孔子だと言つてゐるが、今自分は周公を集めて大成した人だと言へば、孟子の説と違ふやうに考へられるであらうけれども、それは必ずしもさうではない。勿論孔子も集めて大成した人であるが、周公の集めて大成したのは道であつて、孔子の集めて大成したのは、周公の道を教へとした所に存するのである。
これらの由來を眞に理解しようと思へば、道と器との區別を知らなければならぬ。易には「形より上なるもの之を道と謂ひ、形より下なるもの之を器と謂ふ。」といつてゐるが、道といふものは器を離れて存するものでない。さうして孔子の教を載せてゐる所の六經と
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