て居つて、精神は立派なものであるといふことを主張して、馬端臨の文獻通考の方が劣るといふことを論じた。これが最も乾隆時代の一般の學風とは反對の位置に立つてゐるのである。
 それで章學誠の考では、歴史を研究するのに、整輯排比といふやり方があつて、それは史纂である。參互搜討といふことをするのは史考である。これは兩方とも史學とはいはれない。勿論その整輯排比、參互搜討、共に役に立たんといふことではない。良い著述をする爲めには、材料を並べたつまらない著述の中から、必要なことを取出すのであるから、そのつまらない著述も役には立つのであるが、史學といふものは、その材料を集め、材料を選擇するだけでは史學にならないので、それを如何に取扱ふかといふことが史學である。それで章學誠は獨斷の學といふことを大變尊んだ。ここでいふ獨斷といふのは、材料を考へずに空言空論で獨斷でするといふ意味ではなくして、そのある所の材料を如何に處理するかといふ考へに就ては、一個の自分の頭腦によつてやるべきものであるといふことを獨斷と稱したのである。獨斷の學問の尊いことを頻りに主張してゐる。章學誠は支那の古來の正史の中で、古い史記・漢書そ
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