六藝に出てゐるけれども、又最も多く詩の教から出てゐる。後世の文はその體は皆戰國に備はつて居り、著述といふものは戰國になつて初めて專門の仕事になつた。詩の教といふのは必ずしも韻を蹈んでゐるばかりでなしに、その詩の精神といふものが、事を論じ、ものを形容するのに自由自在であつて、如何なる方法にでも思想を表現することが出來るから、それであらゆる著述といふものは詩教から出發するのである。かういふので、易教・詩教・書教、この三つによつて、古來の著述の源流を論じたのであるが、その外にこの人は禮教といふ篇を書いたけれども、これは最初に出版された文史通義には載つて居らぬ。それは易教・詩教・書教に比しては、十分な力を有つた論文ではなかつた。或る友人は、この人に春秋教といふものを書くことを勸めたが、それは書かなかつた。章學誠の書教の論の中には、春秋の中のことも含んで居るので、書教を書けば春秋教といふものを書く必要がなかつたのである。つまりこの人は支那の在來の經書の分け方の中に、古來の著述を總括して、さうしてあらゆる應用の方法を論じたのである。
その外にも、小さい論文の中に、時々この人の卓見を現はして居るの
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