於て、大變重要な觀察をして居るのである。元來記注といふものは、前言往行を忘れない爲めにするものであるが、その記注には必ず事實あつたことをそのまま書く法則を立てて、さうして遺漏なく之を傳へなければならぬ。それは即ち材料として記録されて貽されて居るのであつて、それが著述となつて現はれる場合は撰述無定名であつて、その記録の中から自分の好む所の題目によつて、各※[#二の字点、1−2−22]然るべき著述をしてよいのである。その目的に從つて、例へば尚書の召誥・洛誥の如く、周の時代の都を奠めたことを書かうと思へば、その記録の中から都を奠める上に就ての必要なる事實を拾ひ出して、さうして最も適當な方法でそのことを著述すればよろしい。或は又康誥などの如く、天子が自分の親族を諸侯に封じたりすることを、教訓として後に貽さうと思へば、それに關する始末を記録の中から拔出して、さうして一つの著述とする。著述は如何樣な體裁でもよろしいのであるが、その根本たる記録は一定した正しい根據から成立たなければならぬ。これが昔の方法であつて、後世になるといふと、歴史といふものが、例へば史記といふやうな歴史の體裁が出來るといふと、その後の歴史は悉くその同じ體裁によつて書く。然るにその體裁の根據になる所の記録といふものは、十分に確實な記録が備はつて居らぬ。それで確實な記録のない所から、著述の體裁だけの一定したものを作らうとするから、その著述といふものが、非常な不確かな信用の出來ぬものになる。これが即ち三代以下、撰述有定名而記注無成法といふことになるのである。記注に成法がないから、材料を取るのは困難で、さうして動もすれば事實を紊る。然るに撰述に定名があつて、體裁は一定してゐるから、本を作ることは割に容易く出來る。そこで文が質に勝つて、いよいよ以て不確かな記述が出て來るのである。三代以下の著述でも、その良い勝れた著述といはれたものは、皆必ずしもきまつた體裁はないのである。例へば通典が作られた時に、通典は一體禮の變遷を書いたものであるが、その間に禮に關する議論を差挾んでも差支ない。又司馬遷の史記は自分が書いた本文の後に、その材料になつた所の原文を存録してゐることもある。さういふことは少しも差支ないのである。
 所で著述が段々變つて行く所の道行きとしては、初めの尚書は最も理想的な著述である。即ち成法のある記注を本として、さうして自分の必要な題目によつて勝手に著述をしたものである。然るに後になつてこの尚書の體裁が一變して左氏の春秋となつた。尚書にはきまつた體裁がないけれども、左傳にはきまつた例、即ち編年體が出來て來た。左傳が一變して司馬遷の史記即ち紀傳體の歴史になつた。左傳は年月によつて事實を並べて行つたが、司馬遷は之を變じて類例によつて歴史を作つた。司馬遷の史記が一變して班固の漢書になつた。史記は古代から近代までを一つの歴史として、通じてその變遷を現はして書いてあるのに、班固は漢一代のことを斷代の歴史として書いた。しかしともかくもこの時までは古來からの法が段々變化はして來たが、それで形は違つて居るけれども、精神は一樣である。殊に司馬遷の史記の如きは、本紀・書・表・世家・列傳と體を分けて書いてあるが、しかしそれは單に外形上さういふ區別をしたのであつて、内容に於てはそのやり方は自在で、その名前に拘束されて居らぬ。例へて言へば、司馬遷の伯夷列傳は、伯夷の爲めに傳を書くばかりでなしに、總ての列傳の總序として一番初めに書いたのであつて、題目は何んであつても、その内容は自由自在に如何なることを書いても差支ないやうにしたのである。その後、班固以來、紀傳體の斷代の歴史が續いたが、宋の司馬光に至つて、又左傳と同じやうな編年體の通鑑を作つた。然るにその後になつて、南宋の袁樞といふ人が通鑑紀事本末といふものを作つた。歴史の體は古來かくの如く變化をして來てゐるが、この紀事本末の體の歴史が最後に出來たといふのは、これ即ち一番最初の尚書の體裁に復つて來たのであつて、袁樞その人は勿論さういふ大したえらい見識を以て書いたのでなしに、單に通鑑の記事を、一つ一つ事件を纏めて記憶する爲めに、便宜上書いたに過ぎないのであるけれども、歴史の發達の順序としては、かういふつまらない人の著述でも、自然に古代の最上の著述の趣意に合するやうになり來つたのである。章學誠のかういふ見方はつまり言はば、最近の歴史の體裁と自然に合して居るのであつて、今日西洋の有名な著述でも、すべてこの紀事本末の體で書くことになつてゐるのであるが、歴史がさうなるべきものだといふことは、章學誠は百五十年前に於て既に考へて居つたのである。
 章學誠は又詩教の篇を書いて、あらゆる著述は支那では戰國の時代から初めて盛んになつて來た。章學誠の意見では、戰國の文は、源は
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