六藝に出てゐるけれども、又最も多く詩の教から出てゐる。後世の文はその體は皆戰國に備はつて居り、著述といふものは戰國になつて初めて專門の仕事になつた。詩の教といふのは必ずしも韻を蹈んでゐるばかりでなしに、その詩の精神といふものが、事を論じ、ものを形容するのに自由自在であつて、如何なる方法にでも思想を表現することが出來るから、それであらゆる著述といふものは詩教から出發するのである。かういふので、易教・詩教・書教、この三つによつて、古來の著述の源流を論じたのであるが、その外にこの人は禮教といふ篇を書いたけれども、これは最初に出版された文史通義には載つて居らぬ。それは易教・詩教・書教に比しては、十分な力を有つた論文ではなかつた。或る友人は、この人に春秋教といふものを書くことを勸めたが、それは書かなかつた。章學誠の書教の論の中には、春秋の中のことも含んで居るので、書教を書けば春秋教といふものを書く必要がなかつたのである。つまりこの人は支那の在來の經書の分け方の中に、古來の著述を總括して、さうしてあらゆる應用の方法を論じたのである。
その外にも、小さい論文の中に、時々この人の卓見を現はして居るのがあつて、例へば史徳といふ篇には、歴史を書く者の資格、即ち才・學・識の三長を有すべしとは、昔から言はれてゐるが、そのことやら、殊に著述の眞實、即ち正しく著述をするといふことに就て論じてある。即ち著述は詩の教の思ひ邪なしといふことを以て精神とすべきであるといふことを論じてある。それから又歴史の材料の取扱ひに就ては、史釋・史注などといふ論文の中に論じてある。それから又歴史には一代の史あり、一國の史あり、一家の史あり、一人の史ありとして、各※[#二の字点、1−2−22]それに關する用意を論じてゐる。その外に著しいのは申鄭といふ篇があつて、申鄭とは宋の時代の鄭樵のことをほめたのである。元來支那で三通といはれてゐる通典・通志・文獻通考、この三つの中で、通典の勝れた著述であることは、何人も異論はないが、通志と文獻通考とに就ては、同じく宋末の著述であつて、その書き方の相異のある所から、屡※[#二の字点、1−2−22]比較論が出來てゐる。一般には馬端臨の文獻通考が大變に整頓された良い著述であつて、鄭樵の通志は劣ると言はれてゐるのであるが、章學誠はそれに反して、通志の方がその出來榮が惡くても、史論が勝れ
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