れによつて其間に起つた六藝傳記などの發展の次第を考ふる事が出來ようと思ふ。勿論これはどちらかといへば前の時代から順次に發展を考ふるよりも、逆に後から溯つて考ふる方が便宜である。例へば劉向劉※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]の時代を中心として、此人々の書いた書によつて其以前に入るべき者を詮衡し、其前に在りては史記などの出來た時代を標準として其以前の書を詮衡し、更に呂氏春秋や淮南子の如き雜家の書の出來た時代を標準として其以前の書を詮衡し、斯の如く漸次順を追うて思想の徑路を尋ねて行けば、其以前のことも段々之れによつて跡をつけて行き得る事と思ふ。
 此方法は勿論予も未だ精確に行つてみたことはないので、總べて六藝諸子に對し、此方法に由つて得たる結論を茲に述ぶることは出來ないが、然し其中の或種の者は幾らか斯かる方法を用ゐて判斷した者を問題として提供することが出來ると思ふ。それに就いて予が茲に特に述べてみたいのは尚書の編成に關する事である。大體支那の經學は唐の中頃より自由討究の風起り、宋代に至つては經書の本文にも疑問を挾むことが許さるゝやうになつた。例へば尚書の洪範に對し蘇東坡、余※[#「壽
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