化を辿るべく、それ以外に正確な方法がない。斯かる觀察點からいへば、論語の如きは一部の書中に多くの異つた時代の思想を含んでゐると觀られる。其最著しく眼につく事から言へば、上論の方で標準になつてゐる人物は、泰伯文王の如き徳あつて位なき人であつて、從つて退いて徳を修むることが聖人の不遇なる場合の理想となつてゐる。然るに下論に至ると孟子若くは公羊春秋に見る如き素王の意味を含んだ思想が現はれ、位無き者が位有ると同樣の権力を振ふことを表はしてゐる。而して又道家若くは名家の如き思想が、著しく下論の中に混入せる傾向がある、禮に對する思想なども先進篇にては窮屈なる禮を守る主義を翻す意味を表はしてゐる所がある。又門下の者が孔子に對する崇拜の程度なども、論語に於けると孟子に於けるとは頗る異るものがあり、孟子の如く孔子を以て堯舜より賢れること遠しとする考は十分に論語には現はれてゐない。若し此の如く儒家が時代によつて、門派によつて、思想の變化を來した徑路を辿り、其發展の次第を繹ね、之によつて種々に傳へられてゐる事實の變化をも追跡していつたならば、孔子以後漢書藝文志までを幾らかの時代並に門派に大別することを得、そ
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