なる部分に入れられたのであつて、文辭から言つても、典謨中皐陶謨は最も新らしき要素を含んだものであると思ふ。
以上述ぶる所を總括すれば、尚書は最初周公に關する記録が其中心であつたものと想像される。尤も今日の五誥は儒家が持ち傳へてゐる間に各の時代の語を以て古語を取り替へた跡があるのであつて、それは例へば史記が訓詁の詞を以て本文を替へたことが、古文今文の議論を外にしても確かに考へらるゝと同樣である。此等の篇が現存の毛公鼎や其他の金文に比すれば文從字順で讀み易い傾のあるのは即ちそれが爲めであると思ふ。而して儒家思想の發展に伴ひ、次第に本文に變化を來したのであつて、其の初め魯を王とする説、孔子を素王とする説であつたものが、他の諸子との競爭上、道統を古きことにする必要より典謨の諸篇が附け加へられ、儒家が六國に用ゐられ、曲學を爲す必要より、甫刑以下の各篇が順次に附加せらるゝに至つたものであらう。此變遷は既に伏生が尚書を世に出す前に於て行はれつゝあつた所で、その間には儒家の傳へた尚書と墨家の傳へた尚書との間に相違ある如く、儒家の間に在りても各分派によりて夫々異つた本文を傳へてゐたのであるが、それは漢
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