以後伏生の尚書によつて統一された爲めに、他の者は皆形を失つてしまつたのである。これだけの變化のあつたことは、尚書を研究する際、先づ考へて置く必要があらうと思ふ。

 以上の如き方法を以て他の經籍をも順次に研究し、從つて其間に自然に儒家思想の發展史を見出す事が出來たならば、茲に始めて先秦古籍の研究が完全に出來上るであらうと思ふ。而して此等の事業は予が吾黨の諸君に向つて厚く望む所である。
[#地から1字上げ](大正十年三月發行「支那學」第壹卷第七號)
  自注
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(一)孟子縢文公上に決汝漢排淮泗而注之江とあり、今の尚書禹貢では江水と淮水とは各々獨立して海に入るので、相通ずることがない。閻若※[#「王+據のつくり」、第3水準1−88−32]は四書釋地續に於て、朱子の説に從つて孟子が一時の誤記に出でたものとしたが、錢大※[#「日+斤」、第3水準1−85−14]は孟子ほどの人が禹貢を讀み能はなかつた筈がないといつて、呉淞江、錢唐江、浦陽江の三江さへ江の委であるから、五百里位の距離の淮口も江の下流とするに何の疑があらうといつて、從來學者が淮泗が江に入らぬ證
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