百」、読みは「せき」、第3水準1−15−74]とかいふやうなものは多少物語として遺つたかのやうに考へられる部分が多いのであります。尤もそれにしても、即ちそれが多少物語になつて遺つて居つたとしても、その物語は、或る新らしい時代に簡册に書かれたものでなくして、相當古い時代に書かれたものでないかと考へられます。それらの周公に關係しましたものの中で、最後に出て居りますのは立政篇でありますが、その中に使つてある文字、――妙なことから私考へ付いて居りますのですが、その中に助字の「矣」の字を使つて居ります。助字の「矣」の字を使つて居る篇は、周公に關係した諸篇の中で立政一つである。さうしてそれが詩經などの例に依りますと、「矣」の字が段々多く使はれて來て居りますのは、大體西周の末頃から東周の初め頃に出來ました詩に多いやうに考へられますので(1)、この立政などは少くとも周公に關する説話が、東周の初め迄の間に書かれたものではないかと思ひます。さうしてそれが周公に關係した諸篇の最後に出て居りますから、それ以外のものは大體それ以前に書かれたかと、まあ想像するのでありますが、まだそれを極めてはつきりと申上げる程研
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