な部分があると思ひます。それはどういふことかと申しますと、周の初め、周公を中心として書いたものが最も比較的正確であらうと思ふのであります。今日の尚書の中の、確かだと言はれる今文尚書の中で、殊に周公に關することが比較的正確であると思ひます。その理由まで申すとなか/\長くなりますから、今日はお預りして置きます。でその周公に關係したことと申しますといふと、例へば大誥・康誥・酒誥・召誥・洛誥、之を五誥と申しますが、その五誥であるとか、或はそれに續いてあります所の無逸・君※[#「爽」の二つの「爻」に代えて「百」、読みは「せき」、第3水準1−15−74]・多士・多方・立政、さういふ諸篇は皆周公に關係したものであります。それが先づ大體に於て尚書の中でも比較的正確なものだと思ひます。しかし之に就て更に細かに考へて見ますと、その中でも純粹な記録で保存されたものといふものはなかなか無いのでありまして、一部分は記録、一部分は傳誦で傳はつて居つたやうな形であります。その中でも、記録として遺つた部分の多からうと思ひますのは今の五誥の種類でありまして、それに比べますと無逸とか君※[#「爽」の二つの「爻」に代えて「
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