ふ、何だか如何にも近頃の演題としては、ひどく氣の利かない題目であります。近頃はかういふ風な幼稚な題目は流行りませんで、皆凝りに凝つた題目ばかり流行つて居つて、題目を見ると、何の内容があるのか分らんやうなのが流行りますけれども、至つて分り易い題目であります。
實は私の支那史學史といふものは、抑※[#二の字点、1−2−22]それを始めましたのは大正三年頃でありますから、今から十九年廿年前であります。それを訂正して二度繰返しました。それで二度目の時でありましても十數年前で、多分大正八・九年頃から二年か三年續けてやつて居ります。その後訂正は一通りはしてあります。大正十二年、私大病をした後に有馬に暫く居りました。その時に筆記の訂正だけは致しましたけれども、之を出版する程の訂正をするのは、もう少し暇がかかりますので、其の儘に打つちやらかして今日迄發表をしないのであります。
さういふ譯で隨分研究とすれば、もう黴の生えて居る研究であります。その時に大體この支那の歴史の起源といふやうなものに就いて色々研究をして見ました。或はその中の研究で、私が先にやつたことを後に王國維氏がやつたのが、今日では王國維
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