時に多分講義をしなかつた分だらうと思ひます、後《あと》からその筆記を訂正します時に、ちよつと紙二、三枚にそれだけ補ふ心算で書いて居つたものが見付かりました。もう大抵大學に居られる方もお若い方ばかりで年代が變つて居りますから、たとへ私がその時分にこの講義をして居りましても、それをもう御承知の方は無いことと思ひます。そんな古いものでありますから、一向新研究でも何でもありません。それで若しそれが講義せずにあつた分でありますれば、尚この際にちよつと其のお話をして置く方が私にとつても都合がよいと思ひますので、其の部分だけはつまり私の手許に講義の筆記も何もなく、只ちよつと要綱のやうな一つ書きが殘つて居るだけでありますから、横着なやうでありますが、ここで筆記して下さるといふ話でありますから尚都合がよいので、講義のし殘しをここで補充をする譯であります。若しひよつとして、さういふ風に要綱だけでも書いてありますから、何處かでお話をしてあるかも知れません、そのお話を聽いて居られる方がありましたらどうぞ勘辨願ひます。尤もお聽きになつても多分お忘れになつて居る頃と思ひます。
 それで「支那歴史的思想の起源」とい
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