支那歴史的思想の起源
内藤湖南

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)家《うち》の中を搜しました所が、

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)所謂|反矢《かへしや》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)抑※[#二の字点、1−2−22]

 [#…]:返り点
 (例)税[#レ]畝

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)なか/\長くなりますから、
−−

 近頃は私は田舍にばかり引つ込んで居りまして皆さんにお目に掛る機會が少いのでありますが、今度何か支那學會の大會でお話をしろといふことでございますので、段々老衰を致しまして、新しく何物かを調べてお話をするといふやうな大儀なことは叶ひませんから、何ぞ何も新しく調べんでもよいものが思ひ出せたらお引受けしませうと言つて居りました。その後、何かそんなものは無いかと思つて家《うち》の中を搜しました所が、今から十數年前、支那史學史を大學で講義して居つたことがありますので、その時に多分講義をしなかつた分だらうと思ひます、後《あと》からその筆記を訂正します時に、ちよつと紙二、三枚にそれだけ補ふ心算で書いて居つたものが見付かりました。もう大抵大學に居られる方もお若い方ばかりで年代が變つて居りますから、たとへ私がその時分にこの講義をして居りましても、それをもう御承知の方は無いことと思ひます。そんな古いものでありますから、一向新研究でも何でもありません。それで若しそれが講義せずにあつた分でありますれば、尚この際にちよつと其のお話をして置く方が私にとつても都合がよいと思ひますので、其の部分だけはつまり私の手許に講義の筆記も何もなく、只ちよつと要綱のやうな一つ書きが殘つて居るだけでありますから、横着なやうでありますが、ここで筆記して下さるといふ話でありますから尚都合がよいので、講義のし殘しをここで補充をする譯であります。若しひよつとして、さういふ風に要綱だけでも書いてありますから、何處かでお話をしてあるかも知れません、そのお話を聽いて居られる方がありましたらどうぞ勘辨願ひます。尤もお聽きになつても多分お忘れになつて居る頃と思ひます。
 それで「支那歴史的思想の起源」といふ、何だか如何にも近頃の演題としては、ひどく氣の利かない題目であります。近頃はかういふ風な幼稚な題目は流行りませんで、皆凝りに凝つた題目ばかり流行つて居つて、題目を見ると、何の内容があるのか分らんやうなのが流行りますけれども、至つて分り易い題目であります。
 實は私の支那史學史といふものは、抑※[#二の字点、1−2−22]それを始めましたのは大正三年頃でありますから、今から十九年廿年前であります。それを訂正して二度繰返しました。それで二度目の時でありましても十數年前で、多分大正八・九年頃から二年か三年續けてやつて居ります。その後訂正は一通りはしてあります。大正十二年、私大病をした後に有馬に暫く居りました。その時に筆記の訂正だけは致しましたけれども、之を出版する程の訂正をするのは、もう少し暇がかかりますので、其の儘に打つちやらかして今日迄發表をしないのであります。
 さういふ譯で隨分研究とすれば、もう黴の生えて居る研究であります。その時に大體この支那の歴史の起源といふやうなものに就いて色々研究をして見ました。或はその中の研究で、私が先にやつたことを後に王國維氏がやつたのが、今日では王國維氏の創説のやうになつて居る部分なんぞありますが、ともかく一通り歴史の起源といふやうなことに就て、その時考へて見たのであります。その時講義しました歴史の起源は、多くは史料の起源、記録の起源といふやうなものに就てやりましたので、餘り歴史的思想の方の起源はやつて居らなかつたやうに思ひまして、それでその部分が缺けて居ると思ひまして、後《あと》でその要領だけを補つてその筆記の中へ挾んで居つたと思ひます。大分老衰の加減で記憶が惡くなつておりますから、間違つて居るかも知れません。
 實は起源と申しましても、起源といふ方がよいのか、或はその歴史的思想が段々發達して居る徑路に及んで居るのでありますから、歴史的思想の發達と云ふ方がよいかも知れません。ともかくさういふ方のことに就て、色々の材料に就て考へました。
 第一は比較的正確な記録の中に見えてゐる歴史的思想であります。支那の古記録、例へば經書といふやうなものでも、絶對に正確といふことを申しますのは餘程困難であります。先づ比較的正確と言ふより外致し方ありません。それでつまり尚書などが最も比較的正確な記録であると思ひますが、その尚書の中に、又最も比較的正確
次へ
全10ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 湖南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング