これは支那で目録學の興つて以來の大著述である。しかし目録の學としては多少の非難もある。又各個人に分れて書くと、皆の本にはなかなか行き渡らぬ結果、一種の偏頗な四庫館式の方式が出來る。即ちどの本にも何か批評をせねばならぬところから、つまらぬ缺點を搜して何か一つは非難を加へる傾きがすべての解題に見え、正當な目録學でないと思はれる點がある。部類の分け方も、四庫館の人は皆鄭樵に反感を持ち、標準は崇文總目で、鄭樵の理論一點張りの目録學に反對し、鄭樵が學問的ならんとして分けた細かい處を打ち壞してゐる。地理・術數の中の子目につき、新たに種類を設けることは已むを得なかつたが、經・史については鄭樵の細別を捨てて崇文の大まかな分類に還した傾きがある。四庫提要の時に新たに設けた部門も多少あり、子部に譜録といふ部類を作り、又史部に別史とて、雜史でもなく覇史でもなく、正史の目的で書いて之の外に出たものがあり、又詞曲類を集部に設けたる如きである。又子部に道釋を加へたが、その教義に關するものは一切入れず、歴史に關するもののみを取り、道藏・釋藏は別にあることを認めて、四庫に全體を收録しなかつた。ただ明史藝文志までは、文
前へ 次へ
全111ページ中99ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 湖南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング