史類をおき、これが批評の總論の學問のやうになつてゐたが、國史經籍志からは詩文評となり、文史類より一段と目的が下落した觀があり、詩文と同時に内容の思想、學問の源流を論ずることはなくなつた。四庫も之によつたが、これは當時存在した書籍が、詩文評に屬するもの多く、文史類に入れるものが少なかつた爲めにもよるが、又この學問の源流に關することを尊重する氣風が、四庫提要を作る時は殘つてゐなかつた爲めでもある。當時は考證學が盛で、一部一部については精細な論はあるが、學問全體の總論は精しくなく、これを卑むものさへあつた。この學者の氣風が四庫提要にも多い。これが文史類が復興せず、詩文評に落ちついた所以である。
 全體の體裁としては、必要上より、著録と存目とに分つてゐる。これは大體四庫全書は天下のあらゆる本を集めたが、その中、立派な本は之を抄寫して帝室所藏本とし、これが文淵閣著録本で三萬六千册七萬九千餘卷ある。その他之に倍する本が集まつたが、それは一應目を通し、目録と解題だけを作つて寫本は留めない。これが存目の本で、これで標準を示したのである。この鑑識にも一種の標準があり、今日より見れば、存目に載つてゐる本の
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