足には殘つてゐないが、殘つたものについて考へると、四庫提要の如く解題として立派なものでない。
 その總纂官は紀※[#「日+(勹<二)」、第3水準1−85−12](曉嵐)といふ非常な博識の人で、その下に集まつた學者も、當時有數なものであつたのみならず、古來よりの學者として考へても數百年に一度しか出ないといふ人達で、それが一部一部について詳しく批評し、その草稿を殆ど全部紀※[#「日+(勹<二)」、第3水準1−85−12]が目を通して統一した。今日、紀※[#「日+(勹<二)」、第3水準1−85−12]が訂正して四庫提要に載せたものの外に、各學者の草稿も殘つてゐるが、これも立派で、紀※[#「日+(勹<二)」、第3水準1−85−12]の訂正したのと比べて何れがよいか分らぬものもあるが、紀※[#「日+(勹<二)」、第3水準1−85−12]は自分の見識により、その主張に合ふ樣に統一したのである。當時の有名な史學者邵晉涵が正史の解題を作つたが、同じ材料で全く別の意味にしたやうなのもある。とにかく紀※[#「日+(勹<二)」、第3水準1−85−12]には一定の考へがあり、四庫提要の凡例に斷わつた主義の外に
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