た。部分的のものではあるが、經書に關するもののみを取扱つた朱彝尊の經義考などは即ちこれである。これは又目録學に一種の新らしい方法を開き、書籍を存・佚・未見の三通りに分け、なるべく著述の要旨を知るために、その本の序文の如きものを集めることにした。後になつて之に倣つて謝啓昆が小學考を書いたが、これは小學に關するもののみを集めたものである。史部のものとしては、章學誠が史籍考を書く筈で、序録だけは出來、部門や卷數も見當がついてゐたが、解題は出來なかつた。これは新機軸を出す筈であつたが惜しむべきである。
四庫全書總目提要
かくの如く目録學として書籍の内容を知ること、源流を知ることは、正史を離れて他の方面に向つたが、それが乾隆の時に至つて四庫全書總目提要となつて現はれた。これは大體に於て崇文總目の復興といふべきで、年數も十年を閲し、あらゆる學者を集めてこの大編纂を行つた。初めから崇文總目を標準としたことは明かである。當時の學問が北宋に比べて、書籍の内容、書目の學問に關する智識が進歩してゐたので、出來上つたものは、勿論崇文總目よりも遙かに優つてゐると思はれる。もつとも崇文總目は滿
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