から、その影響を受けたのであらうが、王應麟が大學者で、名声高く、又玉海が大いに世に行はれた爲めに、この學風は彼が元祖のやうに考へられてゐるが、その前に高似孫のあることを忘れてはならぬ。
 ともかく清朝になつて、學者の非常に骨を折つた輯佚の風は、すでに南宋の末年に行はれ、清朝人はこれを盛大にしたに過ぎぬ。しかも清人は單に輯佚を目的として、全體の學問の一部分として之を爲すことを忘れたことのあるのは、宋人に及ばぬ點である。

       馬端臨の文獻通考の經籍考

 王應麟と並んで有名なのは、宋末の馬端臨の文獻通考の經籍考であるが、これも勿論目録學上大切なもので、どうかすると、今日この本がないと解題さへ出來ぬ本が多い。崇文總目の大部分はこの本より復活された。彼の最もよく用ひたのは郡齋讀書志と直齋書録解題であるが、その他にも用ひ得べきものはよく集めた。彼も亦上手に人の書いたものを利用して自分の著述になるやうに排列した。これらは詳しく書かれ、解題の意味も明瞭なる爲めに、後世の人から珍重された。しかしその集め方は、高似孫、王應麟の如く、學問の全體の上より考へる意味があつたかどうかは疑問である。と
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