もかく、解題らしいものは集めておいたので、一貫した主義はないらしい。清朝の學者は、己が使ふのに便利なものを褒めたので、――鄭樵の不評判や、楊守敬の史略攻撃もこの傾きがあると思はれる。――文獻通考は少し買ひ被つた嫌ひがないでもない。畢竟便利であるといふに止まり、著者の見識の見るべきものがあるのではない。しかしともかく目録學の材料としては、この經籍考は必要なものである。
 宋代の目録學は、以上の如く、崇文總目によつて一つの方法を生じ、鄭樵は理論を考へ、高王二氏は佚書に對する方法を發明したのが重要な點である。

       宋史藝文志――正史藝文志の行詰り

 元になると宋史藝文志が出來た。これは從來、亂雜であるとて攻撃されてゐる。宋史全體が不評判なために藝文志も攻撃されるが、その方法は新唐書藝文志と同じ方法を取つたに過ぎない。宋代に作られた四度の目録を一つに合併し、宋末の本で之に入らぬものを附加し、それらは唐志と同樣に不著録として載せたのである。ただ四度の目録を合併し、その重複を削つただけで、精密に之に關して考へなかつたので、手落ちや誤りがあつて攻撃されるが、それは新唐書も同じである。殊
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