い目録學を起した。即ち當時にあまり知られぬ本又はなくなつた本につき、内容の概念を與へることに骨を折つた。玉海には、當時に殘つた本のことも多く擧げたが、その擧げ方は、その本の内容の大體を知らしめるやうに擧げたので、内容の明かなものは簡單にし、むしろその本の出來るまでの他の本との關係に注意した。つまり現在殘つてゐる本と殘らぬ本との間の内容の連絡をつけ、歴史的に學問の筋道が通るやうに考へたのである。元來玉海は辭學の書として、文章を書くための――天子の詔敕などを書くための學問で、それには多く故事を知る必要があり、その目的で出來た書であるが、辭學として普通に役立つ以上に、學問になるやうに皮肉に考へて作られてゐる。王應麟が手を着ければ、類書たるべき書も學問となるのである。
漢藝文志考證の方は、なくなつた本について、どれだけの内容が知り得るかを試みたもので、色々その本に關し、類書その他、古の本の注などから、佚書の内容を知り得る材料を集めて考證したものである。
以上の二書によつて、王應麟の一種の目録學、即ち現在分つてゐる本と分らない本とをつなぎ、その穴を填める方法が分る。彼は高似孫より後の人である
前へ
次へ
全111ページ中87ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 湖南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング