の書は量は少いが非常によいところがあるのである。史略を日本に得て、古逸叢書の中に之を收めた楊守敬は、その瑣末な點を擧げて之を攻撃し、これを子略・緯略に比してよほど劣ると云つた。そして歴史家の流別に關する議論は劉知幾の史通に詳しく、高似孫はその範圍を出でず、むやみに古書を引き拔き、詳略當を失すと云つてゐるが、これは彼の眞の學風を領解しない故である。もつともこの書は二十六七日間で出來た爲めに粗略なのであらうと云つてゐるが、この人は頭の中に歴史に關する考は前からあり、書き拔くのにそれだけの日數を要したに過ぎず、引用も極めて巧みである。ともかくこれは鄭樵以後の目録學に一新紀元をなしたもので、勿論鄭樵の影響は受けたが、鄭樵のあまり考へなかつた、本の内容に注意することや、亡書を目録以外に類書などより取ることなどは、彼の發明と云つてよい。
王應臨の目録學
次に來るのは王應麟である。その目録學に關する考は、玉海の中の藝文類にある。又漢藝文志考證を書き、玉海に附録されてゐる。この二つのものが主なるものであるが、彼は高似孫のやりかけたごく一部分のことに特に力を用ひ、之を以て一種の新らし
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