學が出來る。目録學より見て史學・諸子の全體を知らしめ、しかも自分の組立てた理論でなくして、人の議論を順序よく並べて、昔の人の議論で自分の説を立てようとする。これは學問の深い人でなければ不可能のことである。當時この人の學問に對し、以隱僻爲博といふ批評があるが(直齋書録解題)、ともかく他人の知らぬ本にまで行きとどいてゐた人である。緯略の中でも、色々の古書が殘つて居らないので、唐代の類書などから引用して、その學問の筋道を立てるに缺けた所を補はうとした。この方法は後に明清になつて大いに行はれたが、その風の元祖と云つてもよい。そこらも王應麟の學風と類し、學問の全體を組織せんとする時、現存書のみでは穴があく處がある。それを類書によつて補はうとした。鄭樵もこの點を考へなかつたのではないが、彼は單に書の名前の上のみから考へたので、時として僞書なども取つた。高似孫はよく類書その他の古書に佚書の一部分を殘したものを引き拔いて補つた。後に古學の研究に盛に用ひられた方法を、宋代に考へてゐたのである。當時の人に隱僻として考へられたのもこの點であるが、彼は目録學より全體の學問を考へる立派な方法を持つてゐたので、彼
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