、ややもすると、當時有つたに違ひなく、しかも必要な本で、總目に載せられてゐないのがあるらしい。一一引合せたことはないが、偶然の經驗から氣づいたのでは、當時司馬光が資治通鑑を作る時に(崇文總目の出來たより後のこと)引用した本の目録が、南宋の時の高似孫の史略に載せてあるが、その中に五胡十六國のことを書いた十六國春秋がある。それが崇文總目にはないやうである。この載るべき筈のものが載らなかつたことは、支那の學者も注意してゐる。官庫の書目より多少ぬけたり、故意に載せなかつたもののあることは隋志と同程度である。しかしともかくこれは官庫の目録である。それ故、南宋に於て書籍を復興せんとするや、宋祕書省續編到四庫闕書目を作つた。これは崇文總目を根據として、南宋の初め戰亂の後の現在書目を調べ、崇文總目にあつて闕けたものには闕と注し、搜訪に便するやうにしたものである。その時崇文院は祕書省と改まつた。これは崇文院の復興を目的として作つたもので、朝廷はこの時まで崇文院を標準としてゐたのである。
 しかしその時既に目録に關する議論も新たに起り、南宋時代には目録學上に新現象が又起つて來た。新らしい考への出來たのは即
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