あり、史通のやうなものまで新唐書藝文志では含ませてある。崇文總目では史通はこの中に入らぬ。そこは同じ歐陽修が兩方に關係しても、總體の人の意見が異つたのかも知れぬ。しかし主もな本としては文心雕龍などが中心となつてゐる。これが目録の最後の部類を占め、殊に新唐書藝文志では、これが何となしに目録學の結論のやうな形をなしてゐる。事實この種類の本に、別録・七略の精神が幾分殘つてゐる。新唐書藝文志は、心あつて史通までもここに入れたかは分らぬが、ともかく文史類が最後を占めてゐるのは、當時、批評學が目録の最後に來ることの必要が自然に感じられたのであらう。
 この新唐書藝文志・崇文總目の間は、目録學の一つの時代で、正史の中に入れられた目録は惡くなつたが、その代りに崇文總目の如きものが特別の著述として出來ることとなつた。その後、南宋の時代には又一つの特別の状態が出來る。

       宋祕書省續編到四庫闕書目

 南宋の初めには、當時の朝廷としては、崇文總目にある書籍を復興せんとする傾きがあり、その爲めに出來た目録がある。もつとも崇文總目の時からして、官庫にある書籍の全部を録したといふ譯ではなかつたらしく
前へ 次へ
全111ページ中67ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 湖南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング