上げられたものは、七録の時と同じであつたことが分る。
六略より四部への過渡とその意義
七録の中には、右の如く佛法・仙道が加はつてゐるのであるが、隋志では之を四部の外に出してゐる。故に七録でも之を除けば、實際は五録に過ぎぬのであつて、この五録は梁の時の官書の五部と一致してゐるのであらう。さうして五録と云つても、子兵と術技とを合すれば子部になるのであるから、その内容は殆ど四部に近い。七録は漢書藝文志の六略より隋志の四部に至る過渡に現はれたもので、これを兩者の間に挾んで見ると、その變遷の有樣がよく分る。七録は單に録の名と子目だけが殘つて、書籍名は一つも無いけれども、之によつて大體を知ることができる。
この六略が四部となりつつあるのは、やはり支那の學問の變化によるのであつて、專門の學術は次第に衰退しつつあることを示してゐる。史部の書の増加することは、年數のたつとともに當然であるが、歴史としても、初め司馬遷が史記を作つた時のやうに、春秋の後を繼いで一家の言を立て、著述者の批判によつて作り上げる歴史は次第に衰へ、單に記録そのものの種類が増加することが分る。記録が自然に積み重な
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