部  楚辭・別集・總集
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隋志では雜文は總集に合せた。これも七録の方が幾分精密である。
 佛法録は、戒律・禪定・智慧・疑似・論記とあるが、この分け方は、今日現存する佛書のどの目録とも合はない。隋志とも勿論合はない。隋志は大乘・小乘を分ち、經・律・論に分けてゐる。七録は戒・定・慧の三學から分け、内容的分類であつたが、後には便宜的の分類が盛になり、内容からの分類は起らなかつた。阮孝緒の頃は、僧祐が出三藏記を作つた頃であるが、これはもつと便宜的の目録で、殆ど學問上の意味をなさない。大體佛教の方の目録は、その後まですべて索引目録が主で、内容目録になつたことはない。佛教學者には目録の智識は發達しなかつた。この頃から佛教には僞物が多かつたと見え、疑似の部がある。又論記は後に生じたものを別にしたので、この區分法はよく出來てゐる。
 仙道録の子目は、經戒・服餌・房中・符圖であるが、これは隋志も殆ど同じで、ただ符圖が符録となつてゐるだけである。この中、服餌・房中・符圖の三部は隋志と卷數まで同じである。その間、全く道教の本が殖えなかつたのではないが、隋志の時、著録すべき本として取り
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