て學問とした。しかしともかく、この二書は、漢代の最大の學術的收穫で、これだけで支那の學術は盡きてゐると云つてもよい。その後、書籍も色々出來、分類法も色々變つたが、全體に於てこの二大學問の流れに過ぎぬ。その後、史學即ち司馬遷の始めたことは大發展をし、書籍の分類の一大部分を占めることになつた。又あらゆる支那の學問に、司馬遷の考へたやうに、春秋の法を以て事實を記録する精神を與へた。一方書籍の分け方は、二劉の後も、彼等の最初考へた六略の趣旨を出ない。ただ史學が厖大に食み出しただけである。又あらゆる著述・分類に對し、支那人が歴史的意味を以て考へることも少しも變らない。ただ二劉ほどの頭の人が出なかつたので、二人よりも拙いものを作つただけである。

       七略の史的書法

 この七略――今日の藝文志を見ると、歴史的に或る著述を考へることは、極めて部分的な一一の本の目録の上にも考へられてゐて、大體に於て、書名の下に附いてゐる注釋なども歴史的に出來てゐる。著者は誰某の弟子で、誰某の家の學であるかといふことがよく注意されてゐる。又大體に於て時代精神といふやうなことも考へられてゐる。即ち書名は古くと
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