の子目につき書名を擧げ、その一種類毎にそれを總括した文章があり、一略が終れば更に一略全體の總論がある。この時代としては、よほど本の分類の仕方もよく出來、却て後世、本を四部に分けたのより學問的でよい處がある。そしてその一つ一つの書目を擧げるについても、皆相當の意味がある。藝文志は七略を簡單にしたに相違ないが、その必要な目録の書法は、もとのままを守つたらしい。
 その中で注意すべきことは、全體の總論的なこととしては、書籍の歴史的な排列法、分類法の取られてゐることである。それは本の出來た時代の順に書くといふことではない。歴史的なりといふ意味は、大體、本の出來て來る由來から分類の仕方を考へたことである。經書を六藝その他に分けるのは勿論、最も骨を折つたのは、諸子略の儒家以下九流について書いたことである。勿論六藝でも、易は如何にして出來たか、書は昔如何なる種類のものがそれらに纏まつたかといふ風に由來を説いてゐるが、殊に九流では、九流が悉く昔の官師から出たことを説いてゐる。例へば、儒家は司徒の官に出づ、道家は史官に出づとあり、その外、陰陽家は羲和の官(天文の官)に出で、法家は理官(裁判官)に出で、名
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