家は禮官(禮儀を司る。名と實とを合致せしむるを職とす)に出づといふやうに、すべて昔の官職に歸することを論じてゐる。かくの如く學問を歴史的に考へるのが二劉の學の特色である。その他の詩賦略以下も皆由來をたづねたが、殊に九流については、由來の外に長短得失を論じてゐる。その見方は、九流が皆官師から出たから、初めは皆社會組織の必要から出た職務であつたが、それが漸く一家の説を作り出した。そして或る時代には、九流百家が各※[#二の字点、1−2−22]その長所を盛に鼓吹し、己れ一家の學さへあれば、他の學問はなくとも國家を治め得べしと考へたが、根本は皆六藝略に載せられた六家の支と流裔とであると考へ、その各※[#二の字点、1−2−22]の一派のものが、その自己の説を誇張するにつけて、その説の偏つた處をむやみに大きくして行き、そこから弊害ができ、各家の主張するやうな九流の著述が出來たといふのである。もと國家の機關であつた時には衝突はなかつたが、各※[#二の字点、1−2−22]極端に自説を張るに至つた爲め、各説相衝突するに至つたのであるとの考へである。これは勿論九流各家より云へば承服すべからざる議論であつて、
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