「音+欠」、第3水準1−86−32]の書いた解題は、向のものよりも殘つてゐない。今日殘つてゐるのは、ただ上山海經表だけである。大體に於て向の書き方に似てゐるが、この一篇で見ると、いくらか向よりも學問の仕方が雜駁になつてゐるやうに感ぜられる。ともかく、この二代の仕事は、二十餘年間繼續し、その中、大部分は向がしたので、※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]一人で關係したのは僅か一二年である。それ故、全體からは向の仕事と云つてよい。いよいよ完成したのは哀帝の建平年間で、今日の山海經にも、建平元年に校正した奧書きやうのものが、第十三篇の末に附けられてある。もしこの二代の仕事が、全部殘つて居れば大したものであるが、今日では、その極めて省略されたものが、漢書藝文志に殘つてゐるだけである。元來向の別録は二十卷あつたと云はれる。それを※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]が省略して七略としたのであるが、七略が一略一卷づつで七卷である。それが漢書藝文志になる時に、餘程節略せられた。しかし幸ひにこの藝文志があるために、殊に班固が之を漢書に取入れるとき、本の目録を増減したり、部類を移したりしたことに
前へ
次へ
全111ページ中25ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 湖南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング