ここに目録學が始めて興ることになつた。

       二劉の學の本旨

 勿論この目録學は、前述の如く、單なる帳面づけ、支那で謂ふところの簿録の學ではない。その本旨は著述の流別に在りとされてゐる。これは或る意味から云へば、學問が最後の點まで發達したものと見ることができる。といふのは、少くとも支那では春秋戰國以來、學問が次第に興つて色々の著述が出來たが、劉向・劉※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]に至つて、それらの著述を總論する學が出來た。單にこの點だけでも、學問の最後の結末をつける意味があるが、なほ詳しくその内容を考へると、戰國時代、學問の始めて盛になつた頃には、學問は大體哲學的で、各人の主張する理論を專らとした。從つて學問の上に色々の區別を考へるのにも、その主張・理論を主とした。然るに劉向・劉※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]に至つて、すべての學問、すべての著述を、單にその學派、その著述の有つ主義・理論の上から考へるに止めずに、その學問の由來を考へるやうになつた。學問を歴史的に考へるやうになつたのである。支那の學問といふものが、大體に於て、あらゆる學問を歴史的に考へる
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