、書籍を校讐する時、同じもので違つた文のある時は、原文と違つた文と兩方を書くこと、又漢書藝文志は七略を取つて直したが、その直したことを注に斷わつてあるから、七略の體裁の大體は今日でも分ることを云つてゐる。
 次に本のなくなつたもの、缺けてゐるものの目録を書く必要をも論じてゐる。ただ時として彼にも誤りがあり、缺けた本を論ずる時、舊唐書經籍志に唐の時の主もな人の詩文が載つてゐないが、これは當時の遺漏ではなく、經籍志のもとになつた本が載せなかつたのであらうと云つてゐる。これは誤りではないが、舊唐書經籍志は天寶以後の人のものは經籍志に載せず、著者の本傳に載せることを斷わつてあるのを忘れたものである。
 最後に藏書といふ議論がある。これは今日、往々普通の藏書にはなくなつてゐる儒教の方の本が、道藏・釋藏の中に殘つてゐるのがある。これは道藏・釋藏には、本を一つに纏めて藏とする藏書の法が備はつてゐた爲めである。普通の漢籍は一箇所に纏める法がないから散逸する。道藏は多く道觀に、釋藏は大抵は寺にしまつてある。漢籍も尼山泗水の間(曲阜)に一大圖書館を作つて藏しておけば、帝室の本が時になくなつても、それで缺を
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