てゐる。王應麟がかかるものを作つたのが、目録學を内容から見ることについて役に立つたことを論じてゐる。又鄭樵が、書籍の前になかつたものが後に揃ふことのあるのを論じたのに對しても、これも單に卷數から見て後世の卷數が多いから本が揃つてゐると見ることの非を論じてゐる。
 又、校讐條理といふことを論じ、鄭樵が書籍を搜す官を派遣すること及び書籍を校讐する人が長くその任に居る必要を論じたのは、校讐の要義を得てゐる。しかし書籍の搜し方の善不善を更に考へねばならぬ。それは求書は一時のことであるが、治書は平日から必要のあることである。然るに樵は求書の方法を論じてゐるが、治書の方を論じてゐない。不斷から治書の法を考へて、現在の書籍に如何なる處に缺陷があるかを知つて居れば、求書の時にも適當な求め方が出來る。不斷からある本ない本を皆目録に記しておき、又民間で書籍のことについて必要なことを發明したものは、それを官に申し立てれば、そのことを官の記録に留めて、搜す便宜の備へにする。又かく書籍の内容を調べることになると、世を毒する不都合な本の隱れてゐる餘地をなくすることも出來る。各地方でこの法を行ひ、各地方の本の目録を
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