。それは別に切り離して、その適當な部類に入れて差支ないといふ議論である。
又、辨嫌名といふことを論じてゐる。別裁の方は、一定の主義があつて一つの本を二つ以上の部類に入れることを論じたが、辨嫌名は、主義がなくして同じ本を二箇所以上に入れることの不都合を論じた。これは漢書藝文志以後には、分類に主義がなくなつたので、重複して著録されたものは大部分は義類に關係がなく、全く編纂の誤りに過ぎない。これははつきり辨別して一つに歸着せしむるが當然である。かかる嫌名を辨ずる方法としては、韻に從つて書籍を分ける署名目録を作り、各書の下に本の由來を書き、いよいよ分類するときに、その韻に從つて尋ねるがよいと云つてゐる。つまり今で云へば五十音順のカードによつて整理するといふやり方である。
補鄭、これは鄭樵の議論を補ふのである。鄭樵の議論に、本の名が亡び、實は亡びぬといふことがある。これは卓説であるが、樵はその應用に粗雜な點がある。内容をよく吟味せず、ただ書名だけによつて、名が亡び實が亡びないといふ説をなすと、大きな間違ひが生ずると云ひ、そして王應麟などのやつた、なくなつた本の内容目録を作ることの必要を主張し
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