であるが、この中で確かなのは初めの四つである。これらの四つのものは、皆體裁が同じで、初めに先づ、如何なる本を集めて校正し、定本を作つたかといふことを書き、定本を作つた以上は幾らでも寫本が作れるといふことを書き、それからその人の傳記の如きものを明かにし、その學問の系統を記し、その得失長短を論じてゐる。初の四つは皆同じやうに出來てゐる故、別録の體裁として間違ひないものである。韓非子のは、その體裁が揃はず、本を校正した記事が缺け、最後の學問の系統を論じた處も缺けて、傳記のみであるので、確かに劉向の作つたものかどうか疑はしい。列子といふ書には色々疑問があつて、今日傳はるものは六朝頃の僞作でないかと云はれてゐる。もしさうだとすると、その書の最初にある劉向の別録ともいふべきものも確かとは云はれないが、大體別録の體を具へてゐる。※[#「登+おおざと」、第3水準1−92−80]析子のも體裁は具へてゐるが、劉向のものとも劉※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]のものとも云はれ、確かでない。その他、全く僞作と思はれるものは、關尹子と子華子との二つで、これは全く後世の人の僞作と決められてゐるから、先づ採
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