家は禮官(禮儀を司る。名と實とを合致せしむるを職とす)に出づといふやうに、すべて昔の官職に歸することを論じてゐる。かくの如く學問を歴史的に考へるのが二劉の學の特色である。その他の詩賦略以下も皆由來をたづねたが、殊に九流については、由來の外に長短得失を論じてゐる。その見方は、九流が皆官師から出たから、初めは皆社會組織の必要から出た職務であつたが、それが漸く一家の説を作り出した。そして或る時代には、九流百家が各※[#二の字点、1−2−22]その長所を盛に鼓吹し、己れ一家の學さへあれば、他の學問はなくとも國家を治め得べしと考へたが、根本は皆六藝略に載せられた六家の支と流裔とであると考へ、その各※[#二の字点、1−2−22]の一派のものが、その自己の説を誇張するにつけて、その説の偏つた處をむやみに大きくして行き、そこから弊害ができ、各家の主張するやうな九流の著述が出來たといふのである。もと國家の機關であつた時には衝突はなかつたが、各※[#二の字点、1−2−22]極端に自説を張るに至つた爲め、各説相衝突するに至つたのであるとの考へである。これは勿論九流各家より云へば承服すべからざる議論であつて、二劉の説は、儒學、六藝を中心としてあらゆるものを歴史的に見るところからかくなつたのである。二劉の考へでは、儒學を中心にし、六藝を中心にするのは獨斷ではなく、すべての書籍を歴史的に見るところから來てゐる。即ちもろもろの書籍の中で、六藝の書のみは、古のものをそのまま傳へてゐるので、歴史的に考へて誤りなく、手を入れずに傳へられてゐるが、九流の書は、各※[#二の字点、1−2−22]の説を主張する爲めに、その材料を誇張變形して傳へてゐる。但し六藝の書に失はれたことも、九流の書に殘つてゐるものがあるから、この點を取れば役に立つといふ意見である。大體諸子略だけは六略中特別なもので、その他はすべて昔のものがそのまま傳へられたものである。
二劉の學と司馬遷の史學
これは、ともかく、その當時までに支那に出來てゐた本を總括して考へたものであるが、この漢代までの支那の學問を總括して考へたものに、二通りの種類がある。一は司馬遷の史記で、一は二劉の學である。司馬遷の史記も、當時までのあらゆる本を總括して考へてゐるが、その考へ方は、司馬遷の場合は、例へば九流諸子の書、六藝の書に據つて書いても、そ
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