の集團が清朝のあらゆる學者に關係し、又清朝前半期の學派をも生じた。萬斯同は記憶がよく、如何なる事實が何の書の何枚目にあるといふことまで覺えてゐて、非常に博學であつた爲め、明史を編纂する傍ら、一般史學に關して有名な歴代史表を遺した。大體この人のやり方は、古來ある歴史の缺を補ふもので、舊史を修補する學問とも云ふべきものである。徐乾學の方に集まつた中には、閻若※[#「王+據のつくり」、第3水準1−88−32]の如きは、古書の校訂を好んだ。從つてこの一派よりは舊史を考訂する學問といふべきものが出た。尤もこの考訂は、古く王應麟がその根本をなし、楊愼などもその風があり、顧炎武に至つてその方法が定まり、一派の人が之を受けついだのである。この舊史修補と舊史考訂との二つが、乾隆以前の清朝の史學の全體を總括すると云つてよい。その間には、沿革地理學があり、又金石で歴史を考證することなどは、顧炎武がその基礎をなしたことであるが、ともかくこの二つが主目的であつたのである。後に乾隆以後に章學誠の如き史論家が出て、清朝初期の史學は史學でないと云つた位である。歴史全體の主義としては、明史の如く史料を重んずる風で新唐書
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