則であつて、偶然にもその原則が復活したと見ればよい。尤も六朝のは四六文であつて、それをその儘歴史に入れても、文は美し過ぎるが粗雜には見えぬ。元代のは史料が俗語である爲めかかる攻撃を受けたのである。大體元史は纏まつた歴史としては體裁をなさぬが、史料として取扱ふには面白い處がある。
元史は明の初めに出來たが、大體明初には元の風を承けて大部の編纂が流行した。朝廷の編纂として大きなものは永樂大典であつて、これは古今の書籍を網羅した類書であるが、後になつてその中より多くの史料を見出した。清朝になつて學問が盛になり、勅命で作つた四庫全書には、永樂大典より數百部の書を抽出して入れたが、この中には多數の史料を含んでゐる。永樂大典は當時の史學には役立たなかつたが、後世の史學を益することが多かつた。その他にも歴史に關するものでは、歴代名臣奏議の編纂があり、これは非常に大仕掛なもので、當時のみならず、今日でも史料として有益である。
又明初には宋元以來續いた南洋貿易を更に擴張してアフリカ沿岸まで及ぼしたので、この地方を西洋と云つた。當時の東洋・西洋とは、今の南洋の中を二つに分けた名稱である。この西洋に關す
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